「青天を衝け」のモデル・渋沢栄一の一生とは?武士なのに実業家?!

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2021年2月14日からスタートするドラマ「青天を衝け」。モデルとなった実在の人物、渋沢栄一とは、どのような人物なのでしょうか。今回は「青天を衝け」の概要や渋沢栄一の活躍や仰天エピソードをご紹介します。

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ドラマ「青天を衝け」が2月14日からスタート!

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明治~昭和初期に実業家として活躍した渋沢栄一の一生を描いた大河ドラマ「青天を衝け」が、2021年2月14日にスタートします。

主人公の渋沢栄一は吉沢亮さん、栄一の従兄の渋沢喜作に高良健吾さん、栄一に様々な影響を与える砲術家、高島秋帆は玉木宏さんが、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を草彅剛さんが演じます。

他にも竹中直人さん、堤真一さん、木村佳乃さん、要潤さん、川栄李奈さんと言った豪華キャストが登場。

幕府が滅亡し、一気に近代化が進んだ明治時代。そんな激動の時代を生き抜き、「日本資本主義の父」と呼ばれるまでになった渋沢栄一の一生がどのようなものであったのか、また吉沢亮さんを始め、各キャストがどう演じるのか、注目ですね!

「青天を衝け」のモデル・渋沢栄一とは?

渋沢栄一の銅像

「青天を衝け」に先駆けて、モデルとなった渋沢栄一とはどのような人物であったのか、プロフィールと主な活躍を見てみましょう。

渋沢栄一のプロフィール
出身地:埼玉県深谷市
生年月日:1840年(天保11年)2月13日
没年月日:1931年(昭和6年)11月11日
職業:幕臣、官僚、実業家、教育者
栄誉:正二位、勲一等旭日桐花大綬章、子爵、黄綬褒章、紺綬褒章

渋沢栄一が設立や支援等で関わった主な会社

渋沢栄一は、現在誰もが知る大企業の創設に相談役に就任したり、支援をしたりして関わっています。渋沢栄一が関わった主な企業を見てみましょう。

第一国立銀行(現:みずほ銀行)
東京貯蓄銀行(現:りそな銀行)
抄紙会社(現:王子ホールディングス、日本製紙)
石川島平野造船所(現:IHI、いすゞ自動車、立飛ホールディングス)
中外物価新報(現:日本経済新聞)
東京海上保険会社(現:東京海上日動火災保険)
東京電灯会社(現:東京電力ホールディングス)
ジャパンブリュワリー(現:キリンホールディングス)
札幌麦酒会社(現:サッポロホールディングス、アサヒグループホールディングス)
清水組(現:清水建設)
日本土木会社(現:大成建設)
東京人造肥料会社(現:日産化学)
東京ホテル(現:帝国ホテル)
足尾鉱山組合(現:古河機械金属、古河電気工業、富士通、富士電機、横浜ゴム)
浦賀船渠(現:住友重機械工業)
帝国劇場会社(現:東宝、東京会館)

ここに記した以外にも、渋沢栄一は様々な会社の設立、運営に尽力してきました。生涯で500以上もの企業に関わっていたそうです。

また、渋沢栄一は慈善家としても活躍しており、多くの教育機関や社会公共事業にも関わりました。その数は、関わった企業をはるかに超える700と言われています。以下は渋沢栄一が支援した社会公共事業の一部です。

東京市養育院
聖路加国際病院
(社)日本赤十字社
日本放送協会
東京会議所
日本女子大学
早稲田大学

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ここがすごい!渋沢栄一の仰天エピソード

渋沢栄一の生家

渋沢栄一には多くのエピソードがありますが、その中でも当時はもちろん、現代でも「まさか?!」とびっくりするようなエピソードを集めました。

渡ったパリでまげをバッサリ切った

渋沢栄一は、1867年にパリ万博に招かれた徳川慶喜の弟である昭武の随員として渡仏しました。その際、他のメンバーが食べたがらなかった洋食に果敢に挑戦し、バターを塗ったパンを食べ、コーヒーを飲みました。

さらに、驚くべきはパリに着くと「郷に入っては郷に従え」と、日本男性のシンボルとも言えるまげをあっさりと切ってしまったのです。

さらに、着物を脱ぎタキシードを着て、あっという間に洋の文化に馴染んだ渋沢栄一。その洋装姿を撮った写真を妻に送ったところ、妻から「なんとあさましき(みっともない)姿になられたのか」と、嘆く返事がきたとか。

周りの目や意見に流されず、自分が興味を持ったことをとことん追求する渋沢栄一の性格が分かるエピソードです。

三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎と大ゲンカ

渋沢栄一は、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎と大ゲンカをしたことでも有名です。この一件は「屋形船会合事件」と呼ばれ、今でも語り継がれています。

当時、すでに日本の実業界を圧巻していた岩崎弥太郎は、将来有望と見ていた渋沢栄一を屋形船での宴会に招きました。そして、そこで「2人で手を組み、日本を牛耳って富を独占しようではないか」と持ち掛けたのです。

ところが、渋沢栄一はこの誘いをきっぱりと断ります。なぜなら、渋沢栄一が実業家になったのは、自分がお金持ちになりたいからではなく、日本の経済界を発展させ、ひいては国全体が豊かになることを目指したからです。

つまり、岩崎弥太郎とは真逆の考えだったのです。そのため、お互い一歩も譲らない主張を続け、腹を立てた渋沢栄一はついにその場を立ち去ったと言われています。

巨万の富を前にしながらきっぱりと断る姿はカッコイイの一言に尽きますね。

まとめ

今回は「青天を衝け」のモデルとなった渋沢栄一の一生をご紹介しました。

農民に生まれ、武士を志した渋沢栄一。しかし、幕府が崩壊することを予見すると、最後の将軍・徳川慶喜に受けた恩を返しながらも、海外の事業の在り方を学び、日本でも実践して日本を盛り立てようと奮闘しました。

渋沢栄一は慈善家としても知られ、弱い人たちを助けようと養育院などへの支援を惜しみませんでした。死の間際にも「少年少女たちの将来の福祉を頼んだよ」と養育院にいる子供たちを心配したそうです。

そんな慈愛の心を持った渋沢栄一の一生を描いたドラマ「青天を衝け」は明日からスタートです。楽しみでなりませんね!

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