長谷川博己さん、染谷将太さん、門脇麦さん、川口春奈さんら、豪華ゲストが出演した大河ドラマ「麒麟がくる」は、2021年2月7日に最終回を迎えました。
スポニチアネックスの調べによると、最終回の視聴率は18.4%、最高瞬間視聴率は21.6%をマークし、非常に人気があったことが分かります。
ところが、最終回の放送後、ネットを中心に「意外だった」「あり得ない」「残念だった」という声が相次いでいるのです。
なぜ、高視聴率をマークしたのにも関わらず、「麒麟がくる」の最終回は酷評されているのでしょうか。今回は「麒麟がくる」について、最終回で低評価が多かった理由と考察を解説します。
「麒麟がくる」の概要と最終回あらすじ
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「麒麟がくる」は、本能寺の変で織田信長を討ち取ったことで有名な「明智光秀」の生涯を描いた作品です。
始まりは、明智光秀(長谷川博己さん)が領地を荒らす野盗を撃退した際に手に入れた「鉄砲」に興味を持つところから。
鉄砲をめぐる旅の中で、医者の東庵(堺正章さん)と助手の駒(門脇麦さん)、織田信長(染谷翔太さん)とその妻、帰蝶(川口春奈さん)、室町幕府最後の将軍である足利義昭(滝藤賢一さん)らと出会います。
そして、光秀は信長を助け天下統一を目指すも、戦いの中で2人の間に亀裂が生じてしまいます。
最終回あらすじ
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最終回である第44話では、信長が光秀に討たれた本能寺の変と、その後が描かれています。
天正10(1582)年5月、信長は長年の宿敵である武田家をついに破ります。そして、その戦勝祝いの席で、光秀は饗応役を命じられますが、信長に理不尽な叱責を受けた上に役を解かれてしまうことに。
さらに、信長は光秀が懇意にしている四国の長宗我部征伐に乗り出すと言い出します。光秀は「殿は戦の度に変わってしまった」と嘆きますが、信長はそんな光秀に対して「己を変えたのは戦ではなく光秀だ」と言い放ちます。
さらに信長は光秀に対し、なんと恩ある「将軍(足利義昭)を殺せ」と命令を下すのです。この命令を受けた光秀は、信長を倒して世を平らかにすることが自分の使命と考え、謀反を決意するのでした。
そして、天正10(1582年)6月2日未明、軍勢を率いて信長のいる本能寺を急襲します。襲撃を受けた信長は、相手が光秀と知ると一瞬驚くものの、「そうか十兵衛(光秀の若い頃の名)か。であれば、是非もなし(仕方がない)」と悟り、自身の兵の何倍もいる軍勢に対して奮戦します。
しかし、とうとう傷を負い、側近の蘭丸(板垣瑞生さん)に本能寺に火を放たせると、「わしはここで死ぬ。わしの首は誰にも渡さぬ、わしを焼き尽くせ」と言葉を残して自害。
本能寺の変の後、再び物語が始まるのは3年後。世の中では、光秀は山崎の戦いで死んだとされる一方、「丹波の山奥に潜み、今も生きている」という噂もありました。
そんなとき、駒は町で光秀と思われる人物を見かけて追いかけますが、見失ってしまいます。その後は光秀らしき男が馬にまたがり、走り去るという最終回でした。
「麒麟がくる」最終回での疑問点と考察
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「麒麟がくる」の最終回に「残念」「ガッカリした」という声が挙がった理由は、最終回の終わり方が曖昧でいくつかの疑問点が残されてしまったからです。「麒麟がくる」最終回に残された謎と、その考察についてまとめました。
光秀は生きている?
まず、多くの人が真っ先に気になったのは、「光秀は生きているの?」という点ではないでしょうか。
史実では、光秀は本能寺の変の後、山崎の戦いで深手を負い自害します。しかし、ドラマでは山崎の戦いについて「羽柴秀吉が立ちふさがったのである、光秀は敗れた」というナレーションが入ったのみで、光秀が死亡したとは明言していません。
そして、その3年後に駒が義昭と再開し、光秀の思い出を語るシーンとなりますが、その後なんと駒が光秀らしき人物を市場で見かけるのです。
駒は必死にその光秀と思われる人物を追うも見失ってしまい、結局駒が見たのは光秀だったのかはっきりしないままラストとなってしまいました。
そのため、ネットでは「中途半端な終わり方でガッカリした」という声が殺到したのです。この光秀が生きているのか、駒が見たのは幻だったのか、はっきりしないラストについて、NHKの落合将チーフプロデューサーは以下のように語っています。
最終回で、明智光秀(らしきもの)は、本能寺の変の3年後も大地を駆け抜けていきました。あの方は、生きていた光秀で、のちに家康を助けるのか、または駒が見た希望の幻なのか、はたまたただの他人の空似なのか……それは視聴者の皆様方のご想像にお任せします。私個人の見解としては、光秀はその後、我々が生きる未来社会に降り立ち、混迷する現代の世でも麒麟を求めて私たちを導いてくれるような気がしてなりません。とにもかくにも、最後までご視聴ありがとうございました
(引用:ENCOUNT)
光秀の生死があやふやであるのは、プロデューサーのあえての意向だったようです。
歴史研究家の中にも、山崎の戦いで敗れて自害したのはウソで、光秀は生きていて、その後徳川家康の側近となったと唱える人もいます。
ドラマでは、光秀生存説はよく知られている史実とは異なるため、「ぶっ飛んでいる」と言われましたが、光秀が山崎の戦いの後も生きていた可能性は十分にあると言えるのではないでしょうか。
麒麟は結局来た?
「結局、麒麟は来たの?」と、タイトルの伏線が回収されたのか気になる人も多いようです。
タイトルにある「麒麟」とは、中国の歴史書である「史記」の中で、王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、穏やかな世になった時に現れる霊獣とされています。
落合将チーフプロデューサーは「麒麟がくる」というタイトルについて、以下のように語っています。
今のわたしたちは、昭和、平成、令和と大きな時代の転換期にいて、戦国時代ほどではないにしろ、生きにくさを感じるし、100年後の未来が見えないという意味では、戦国時代と共通している。閉塞した世の中に麒麟が来てほしいと願うことは、視聴者にも届くのではないかと思いました。
(引用:シネマトゥデイ)
つまり、「麒麟がくる」のタイトルには、「平和な世の中が来て欲しい」という願いが隠されていたのですね。では、麒麟とは結局誰のことだったのでしょうか。
最終回では、光秀が生きているような描写がされ、徳川家康の側近となった可能性を示しています。徳川家康はご存知の通り、徳川政権を確立した人物です。徳川の世では、200年以上もの平穏な時代が続いています。
ということは、タイトルの「麒麟がくる」の麒麟とは、徳川家康の側近となり、平穏な世を作った(と推測される)明智光秀本人を指した言葉なのではないでしょうか。
まとめ
明智光秀の生涯を描いた「麒麟がくる」は、果たして光秀は生きていたのか、生きていたとしたらその後はどうなったのかと、様々な疑問が残る最終回でした。
あいまいな終わり方をしたことで、「残念」「モヤモヤした」という感想を抱いた視聴者は多いようですが、このラストはプロデューサーのあえての演出であるようです。
最終回後に色々な想像ができるからこそ、私たちの解釈次第で「麒麟がくる」はより面白い作品となるのではないでしょうか。
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